びずまんぶろぐ

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ロサンゼルス駐在⇒転職して東京で外資系勤務のしがないサラリーマンのブログ。妻と娘の3人家族。

関取花というアーティストを知って欲しいけど知って欲しくない


関取花、というアーティストがいます。

 

「今夜くらべてみました」というテレビ番組を観ている人は、もしかしたら彼女を知っているかもしれません。

Goose house(旧PlayYou.House)というグループ(プロジェクト?)を知っている人も、もしかしたら彼女を知っているかもしれません。

 

テレビでの紹介で「ひがみソングの女王」なんてキャッチフレーズを付けられてしまったせいで、バラエティ番組に対する基礎能力が無駄に高いせいで、彼女の本当の良さが伝わっていない気がするので、今日は彼女の話をしてみようと思います。

 

関取花は、いわゆる「弾き語りアーティスト」です。

弾き語りとバンドは大きな目で見ると音楽、という括りで一緒ではありますが、弾き語りには、バンドには絶対に出せない哀愁がある、と思っています。弾き語りとバンドは、全く別物なのです。

 

弾き語りアーティストは時として、自分を勇気付けるために歌を作って歌を歌います。そして、その自分に対する歌が、自分と同じように感じている人も勇気づけられればいいな、とも思っています。情けねぇなぁ、なんて思うんですけど、そのどうしようもなく情けない感じがどうしようもなくダサかっこいいんですよね。バンドはただカッコよくあれば良いけど、弾き語りアーティストには絶対的に情けなさが必要。カッコイイ弾き語りアーティストは例外なく情けないです。何だろうかあの感じ。裸の大将みたいな感じ。どうでもいいですけど裸の大将はやっぱり芦屋雁之助ですよね。ドランクドラゴン塚地はなんか違う。

 

そして、時として弾き語りアーティストは、突発的に得体の知れないほどの素晴らしい楽曲を生み出します。突然変異としか言いようがない未知の産物。ある日突然にぽろっと生まれ落ちるんですよね、不思議と。

 

 

関取花の、「もしも僕に」という楽曲がまさにそれ。

 

 


関取花 もしも僕に

 

 

なんて、どうしようもなく情けなくて、どうしようもなくかっこいい曲なんや、と、どうしようもなくなってしまうのです。ああ良いなぁ。かっこいいなぁ。どうしようもないなぁ。

 

この曲を聴くと、「ひがみソングの女王」なんてキャッチフレーズが非常に勿体無いな、と思ってしまいます。そういうのじゃないやん。めっちゃええ曲歌ってるやん、って。

 

僕はこういう楽曲を聴くと、自分の言いたいことを言われてしまった、という若干の悔しさのような感情を持ちながらも、それでも胸の空くような思いをします。よくぞ言ってくれた、と。

そして、関取花は、何と言ってもバランス感覚が素晴らしいんです。ちょうど生活や人生と同じくらいのバランスで明と暗のコントラストを楽曲で表現してしまうところとか。25歳そこそこで体現できるバランス感覚ではないな、とは思うのですが、女性って、そういう所の成熟は早いですよね。僕の友達にも似たような絶妙なバランス感覚を持った子がいるよなぁ、なんて。

 

でも、僕がここまで弾き語りアーティストに心惹かれてしまうのは、もしかしたら、自分が弾き語りをしていたから、街のライブハウスで少ないお客さんを相手に、素晴らしい楽曲を奏でる数々の弾き語りアーティストを観てきたから、かも知れないな、とも思います。彼らの思いを知っているから、そのフィルターで色々と頭の中で景色を作り上げてるから、よく聴こえてるだけなのかも、と。

 

そして、そういうアーティストの良さって、いろんな人に伝わってほしいんだけど、同時に、知れ渡って欲しくないような、そういう感情がわいてくるんです。俺だけが知っているんだぞ、わかっているんだぞ、と、心の中でほくそ笑むのが好きなんです。いや、ほくそ笑んでいるかどうかはわかりませんけど。

 

…非常にまとまりのない文章をつづってしまいましたが、結局何が言いたいのかというと。

 

関取花がすばらしい。

だから知って欲しい。

だけど知って欲しくない。

 

だから、関取花というアーティストを見つけてください。

そして、心の中でそっとほくそ笑んでください。

 

びずまんでした。