びずまんぶろぐ

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ロサンゼルス駐在⇒転職して東京で外資系勤務のしがないサラリーマンのブログ。妻と娘の3人家族。

草間彌生という無限を描く狂気(Infinity Mirrors@The Broad/Los Angeles)


どうもびずまんです。

先日奥さんと、Los Angeles Downtown にある The Broad という現代美術館に「草間彌生 : Infinity Mirrors」特別展をみてきました。

 

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草間彌生といえば、カボチャと水玉。

 

昔、香川県にある直島という現代アートをテーマに観光開発している島にひとり旅で行ったことがあるので、それぐらいのイメージはもとから持っていました。

みなさんも、FacebookやInstagramなどで女子が二人で水玉のカボチャの周りで写真を撮っている写真をみたことはありませんか?あれです。僕調べでは、関西圏に住む女子大生の3人に1人は行っている計算です。

 

正直にいえば草間彌生に関する知識はそれぐらいのものしかなく、しかも、実際に水玉のカボチャをみたことのある僕としては、特に感動をしたとかそういった思い出も無かったので、今回の特別展は奥さんに誘われてなんとなく行ってみた、という感じでしかありませんでした。

 

そもそも、僕はあまり「アート」がわからない。

 

音楽も「アート」の中に入れるのであれば別ですが、絵画とかオブジェとか、今まではそういったものがいまいちわからなかった。音楽でたまに「ブルッ」と身震いするような感動を味わうことはあっても、アートをみても、「ほぉ」としか思わなくて、どうも僕の中では、音楽>アート、という位置付けになっていて、敢えてアートを鑑賞しよう、という気持ちが湧いたことはありませんでした。

 

もちろん、サブカル系男子を気取ってみたこともある僕は、芸術鑑賞も趣味です、みたいな顔をして、美術館に行ってみたことがないわけでは無いのだが、それはもはや芸術を鑑賞するためではなく、サブカル系女子を釣る餌として行っていたわけで、どちらかというとサブカル系女子を鑑賞したかったわけで、その真意にはサブカルチャーどころかアートのカケラもありませんでした。サブカル系女子たちはそんな当時の僕のよこしまな気持ちを見透かしていたのか、はたまた単純に僕がモテなかっただけなのか、いずれにせよ僕がサブカル系女子と一緒に一眼レフを持って公園にデートに行ったり古着屋巡りをしたりする、なんて機会はとうとう訪れることはなかったのですが。

 

話をサブカル系女子から水玉系ババアもとい草間彌生に戻そうと思います。

 

そんなこんなで先日の日曜日。

草間彌生にやられました。

素晴らしかった。

 

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Infinity Mirrors

草間彌生が表現しようとしているもっとも重要な要素は、「無限」だといいます。鏡によって無限に続く世界、果てしない水玉。

後述する「最初の部屋」から出ると、まずは草間彌生からのメッセージビデオを見ることになるのですが、彼女は「無限」という概念について語っていました。一人の人間として、生きていくことの希望は無限であり、また、その歩みや希望を後世に伝えていくことによってさらにその無限は広がっていく、といった内容だったような気がするのですが(違っていたら申し訳ない)、その時はじめて、彼女の表現したいことがストンと落ちたような、そんな気がしました。

 

展示の順序としては、まず、主題であるIfinity Mirrors の名にふさわしい、真っ暗の鏡の部屋に、街灯に似たオレンジや青、赤、緑などの夜景に近いライトが照らされ、無限にライトが続くように計算された空間に入るところからスタートします。

ぜひ実物を見て欲しいので画像は掲載しませんが、Google 画像検索をすれば色々と出てきますので、気になる方は探してみてください。

 

部屋に入った瞬間。

初めて、アートで「ブルッ」と身震いをしました。

 

あっ、これか。と。

 

幸せと希望と無限。

それを描く狂気。

 

生きるという意味すらもストンと腑に落ちたような、そんな気すらしました。

 

そこから、水玉、カボチャ、などをはじめとした代表的な展示や最近の作品たち。どれも良かったのですが、やはり最初の部屋のインパクトには勝てませんでした。音楽アルバムでいうと、アルバムタイトルの曲が1曲目に入ってて、結局その曲がそのアルバムのキラーチューン、みたいな感じですかね。

 

ただ、もう一つ素晴らしいな、と思ったのは、特別展の最後の部屋。

部屋に入る前にいろんな色や大きさの水玉のシールを渡され、部屋を出る前にどこかにシールを貼っていってくれ、と頼まれました。

部屋は、真っ白ながらも、ソファやテレビ、ライト、ダイニングテーブルなど、生活空間を模したもの。

 

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観覧者がアートに参加できるということ、無限を紡ぐということ、そしてそれらが美しく設計されていること。

この部屋の展示だけでも、行って良かったなぁ、なんて思いながら、食器棚の奥にひっそりと、奥さんと二人で色違いの水玉を貼ってきました。

 

この展示を通して、草間彌生、というアーティストに対する見方が180度変わりました。何がアートをアートたらしめるのか、いまだにそれはわかりませんが、それでも、彼女の作品を素晴らしいと思う人が多い、ということは、やはり何かがあるのかなぁ、なんて。

 

あと、

 

アートのすばらしさを享受できるようになった今の僕なら、サブカル系女子と一緒に一眼レフを持って公園デートに行ったり古着屋巡りをできるかもしれないなぁ、とも思ったのですが、既婚者である僕はもうそんな機会に巡りあうことはないのでしょう。

 

それもまた、無限。

 

それでは!