殆どの女性が知っていて、殆どの男性が知らない言葉は「○○」である
「女の子がだいたいみんな知っていて、男が全く知らない言葉を捜してみよう」
その昔僕が大学生のときのバイト先の同僚たちとの飲み会で出た話題を、最近ふと思い出した。
今から考えるとなんとも馬鹿なテーマだが、こういう馬鹿な話題は若いときには無駄に盛り上がるし、時間を忘れて議論に興じてしまうものである。
そのとき、飲み会に参加していたのは5人。男女比は男3人女2人だった。
僕以外の男2人、女2人を仮にA太、B夫、C子、D美、としよう。
時間はバイトを夜の11時に上がった後に呑み始めたため深夜1時ごろ。店内も終電が過ぎ喧騒がひと段落はしたものの、金曜日の夜、まだちらほらと落ち着いた盛り上がりを見せている。
場所は掘りごたつを備えた半個室風の「和」の空気漂う、普通のチェーン系の居酒屋だった。
なぜそのような流れになったのかは全く覚えていない。
何はともあれ、そのような馬鹿な議題は、その場にいたみんなで真剣に議論をするのに格好のネタだった。
深夜1時過ぎ、少し眠気や疲れも見え始め、ドリンクは3杯目にさしかかり、A太やB夫は生ビールからハイボールや焼酎にシフトしていた。
C子は徳島県出身の酒豪で、熱燗を飲んでいた。D美はまだ20歳になったばかりのおとなしい女の子で、カシスオレンジをちびちび飲んでいる。
まず、捜索対象に選ばれたのは「化粧品」。
なるほど、理にかなった目の付け所だった。女性はすべからく化粧をするが、男性は化粧などしない。当然知らないワードも出てくるだろう。
よくしゃべるC子が酒を呑み、さらに饒舌になっていた。徳島訛りの混じった口調で、ビューラー、ファンデーション、グロス、チーク、なんてワードを次々と繰り出していく。
当たり前ではあるがこの議論、「女性が知っていて男性が知らない言葉を捜す」というその性質上、基本的には「女性がワードを出す」「男性が知っているかどうかを判定する」という流れにならざるを得ない。
男性陣は繰り出されたワードを次々と判定していった。
出てくるワードのなかには、男性陣3人のなかでひとりかふたりが知らない、という、ものはいくつかあったが、それでも3人のなかのひとりは少なくとも知っているものばかりだった。
化粧品はCMなどをはじめとして、男性の目や耳にも触れる機会が多いため、意外と繰り出される言葉に馴染みがあったのだ。
また、付き合っている彼女が化粧品についてあれこれと話してくる、といったことも、意外と男性陣が化粧品の名称を知っているひとつの要因であった。盲点だった。
一通り「化粧品」ジャンルの捜索が終わった。
犯人、もとい「殆どの女性が知っていて、殆どの男性が知らない言葉」はいまだ見当たらない。
案外、探してみるとないものである。
深夜1時半、疲れとテンションの持続時間が切れてきたことから、「この話題もうそろそろよくない?」という空気が流れ始め、捜索活動の先行きに暗雲が出始めていた。
B夫に至っては次のドリンクと追加のおつまみを探すために、メニューをながめている。
「デニール、とかどうですか?」
それまでおとなしかったD美がぼそっとつぶやいた。
デニール。
聞き慣れない単語がその場を走った。
なんだそれは。
デニール?
デニーロならかろうじて知っている。
「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」の初期に(偽者が)よく出ていたやつだ。
しかし、デニールは聞いたこともない。
「なにそれ!?」
男性陣3人が口を揃えた。
「えっ、タイツとかストッキングの濃さの基準ですよ。私は黒タイツなら80デニールが好きですかね。」
D美が控えめに言った。
「えっ!私60くらいかなぁ。若い子とか40とかが普通ちゃうん?」
C子がかぶせてくる。
C子とD美によれば、どうやらタイツの濃さにはだいたい20刻みで数値が付けられ、その数値ごとに分けて商品化されているらしい。
薄ければデニール値は低く、濃ければデニール値は高い。
黒タイツで言えば40デニールはかなり薄めで地肌が透けるレベル、100デニールになるとかなり厚めで真っ黒で暖かいんだとか。
確かにいわれてみれば、黒タイツにも薄ーいのから、まじめな女子高生が穿いているような真っ黒なのまで、みたことはあるのだが、単純な個体差だと思っていた。
そして、C子は60デニール、D美は80デニールを穿いている、という今までバイトの仕事上の関係では絶対に知ることのなかった個人情報も手に入れた。
「それや!絶対にそれ以上の言葉はないやろ!」
捜索隊は歓喜に包まれた。
特に、男性陣はよくわからない興奮にも包まれた。
(僕たちは3人とも黒タイツが好きだった。)
その後も、「何デニールの黒タイツが好きか」とか、「黒タイツデニール別性格診断」なんて話題にも発展し、「デニール」に関する話題は盛り上がり、「デニール」はその日のMVP的存在となった。
なんといっても、男性陣は無駄に「デニール」と言いたかった。
ただ単純に、言いたかった。
そしておそらくみんな「デニーロ」のことを思い浮かべながら言っていたに違いない。
少なくとも僕はそうだった。
深夜三時ごろ、飲み会は終わりを迎えようとしていた。
一生分のデニールを言った僕たちは、なんだかよくわからない充実感に満ちている。
お会計を済ませ、僕たちは席を立った。
先に女性陣が掘りごたつから出てブーツを履き、その後で男性陣が出た。
C子とD美の後ろに男性陣が続いて店の出口に歩いていく。
その日、D美は黒タイツを穿いていた。
掘りごたつでよくは見えなかったが、D美が今日黒タイツを穿いていることは、その場にいたみんなが認識していた。
20歳らしいミニスカートからのぞく黒タイツが、あざとくも可愛らしかった。
店を出る間際、僕はD美にこう言った。
「へぇー、それくらいが80デニールなんかぁ。」
セクハラともとられかねない発言だったかもしれないが、これだけデニールについて語り合ったその日ならOKだろう、と僕は判断したのだ。
「いや、これは60デニールなんですよぉ~。」
いや、80デニールが好きなんちゃうんかい!
と突っ込みたかったが、そのときは「へぇー。」と軽く流した。
女心はよくわからないな、と思った。
同時に、僕は60デニールの厚さを一生忘れないだろうな、と思った。